湖東焼と九谷焼                                   杉本 寛

湖東焼は、江戸時代後期に近江彦根の城下町で古着商絹屋半兵衛によって、優品を制作したことに始まります。天保13年(1843)には彦根藩12代藩主井伊直亮(なおあき)公の命により、彦根藩御用窯になりました。藩の財政・権力の保護の下原料にもこだわり、九谷や瀬戸、京都などの当時の焼き物の先進地から名工を呼び寄せて、湖東焼の制作に当たらせました。よって湖東焼の作風には、九谷をはじめ各地方窯の影響が大きく見られます。湖東焼は公家への進物として使われるとともに、京都や大阪に流通ルートが確保され、販売されました。

また13代藩主直弼(なおすけ)公の代になると、藩の援助がさらに増え、磁器を中心とした青手(緑・黄・紫の三彩)、赤絵(赤を基調とした細密描写や金彩)、色絵(三彩に紺青・赤を加えた五彩)などの優れた焼物が多く作られました。なかには優秀な絵付師、鳴鳳(めいほう)・幸斎(こうさい)といった人たちがおり、繊細、華麗な名品を多数残しています。特に九谷からの影響の大きい赤絵・青手の作品が多く制作されました。中には九谷の絵師と湖東焼の絵師との合作作品も残されています。昨年(2011)11月12日から今年(2012)2月5日にかけて石川県立九谷美術館(加賀市大聖寺)において湖東焼と九谷焼を対比しながら青手と赤絵細描の競演が開催されました。湖東焼からの出品数は41点の多数にのぼり、これらは彦根城博物館から6点、たねや美濠美術館から5点、滋賀県立陶芸の森陶芸館から5点、残りは個人蔵です。

2月4日私は九谷美術館を訪問し特別に許可を得て代表的な青手と赤絵の湖東焼の作品を撮影しました。一見九谷焼との差異を見分けることができないほど見事な作品です。

                                                赤絵金彩群仙文亀足重
青手古九谷写鳳凰文鉢(彦根博物館蔵)                 (絵師自然斎、滋賀県立陶芸の森陶芸館蔵)

彦根藩二代の藩主にわたって、湖東焼は独自の文化や技術を完成し、最高の品質まで高まったが、万延元年(1860)直弼の死後以降、最大の支援者が無くなった湖東焼は衰退していき、明治28年に約70年の歴史を閉じました。

資料・文献

石川県九谷美術館作成パンフレット 「湖東焼と九谷焼・・青手と赤絵細描の競演」