四高桜公園                          杉本 寛

去る4月11日(金)滋賀県高島町萩の浜地区の四高桜公園に行って来ました。四高桜については以前石川滋賀県人会のHPで紹介しました。今から67年前の昭和16年(1941年)4月6日旧制四高ボート部員とOB11名が琵琶湖で訓練中突風に見舞われ全員遭難死するという痛ましい事故がありました。  若くして散った命を悼み、翌年の一周忌に当時の四高関係者や地元の人たちが、高島町の県道沿いに、約1000本の桜を植えました。これが「四高桜」と呼ばれるものです。湖岸の萩の浜には「四高桜」と刻まれた石碑が、追悼のため建立されました。桜の並木は、春の湖畔を彩り地元の人や観光客など多くの人たちに親しまれてきました。  「四高桜」は寿命の短いソメイヨシノであったため、60余年の間に老木となり、枯死したものも多くあります。平成12年の調査では、桜は177本残っていることが判明しました。その大半は高島町の県道拡幅工事に伴い、平成13年から近くの公園へ順次移植され、その場に残るものは17本のみとなりました。

移植された四高桜                                 四高桜公園内を除草される地域の方々

嘉田滋賀県知事が植樹された苗木    橋本金沢大学副学長が植樹された苗木   県道に残った四高桜の老木

これを知った地元の人から「現在地で桜並木を再生、事故を語り継ごう」という声が起こり、平成15年2月有志によって「四高桜を守り育てる会」(会長今西仁氏)が発足しました。会では、「悲劇を後世に伝えるため『四高桜の子孫』を、道路拡幅後の湖周道路沿いなどに植えよう」と住民らに呼びかけ、「四高桜」の枝をヤマザクラに接ぎ木し、苗木を育てる活動を続けています。平成18年11月25日には「四高桜植樹祭」を行い、琵琶湖湖畔に造成された「四高桜公園」に「四高桜」の古木と、協力者の名札を付けた苗木が移植されました。植樹祭には今西会長を始め、嘉田滋賀県知事、橋本金沢大副学長、喜田四高同窓会事務局長、四高・金沢大OB,及び地元関係者約130名出席したそうです。 植樹祭で植えられた桜が今年咲き始めたとの情報で今回初めて同公園を訪れた次第です。13日(日)関西四高会による花見会が催される計画とのことで訪問当日地元「四高桜を守り育てる会」の会員の方々が公園の除草清掃作業に携わっておられました。

苗木の周りを除草される池田幸男氏                      除草の手伝いのまねごとをする筆者

公園で何人かの人に声を掛けました所、会の重鎮で大津市在住の池田幸男氏、守る会会長兼びわこ高島観光協会会長の今西仁氏、びわこ高島観光協会高島支所長の中村真奈美氏と面識を得ることができました。 又、県道沿いに「四高桜」の石碑の場所にも立ち寄りましたが、色鮮やかな各種新鮮なお花が供えられていました。地元の方々は事故以来67年経過した現在も供養を続けていただいている様子を拝見し目頭が熱くなりました。事故時11名全員が湖底に消えましたが、万難を排しての救援活動が2ケ月以上にわたる捜索が行なわれました。特に警察の捜査打ち切り後も高島町の漁業組合員を中心に懸命の捜査を続けた結果、転覆から66日目に最後の遺体が収容されました。今西会長は以前「四高桜は、私たちの心にやすらぎを与え、四高卒業生や遭難で救助活動を手伝ったお年寄りの琴線に触れる場所。四高桜を植えた当時の人々の心を大切にし、永く後世に伝えたい」と述べられたそうです。

                                             事故の翌年に建立された四高桜追悼碑

少なくとも高島町の方々にはその精神が脈々と繋がっていることを痛感した訪問でした。私個人としましてささやかな絆の一端となりますように期待しまして昨年から当会に入会いたしました。 尚、今回の訪問記事の中で大部分の内容は2008年3月28日毎日新聞石川版全面広告欄“「四高」の魂(こころ)永久(とこしえ)に”からそのまま転載しました。記事を書かれた叶ホ川毎日広告社営業部竹松和子様に厚くお礼を申し上げます。