日本の三地蔵                        杉本 寛

地蔵菩薩は仏教の信仰対象である菩薩の一人です。大地が全ての生命を育む力を蔵するように苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救うところから名付けたとされます。地蔵菩薩は「一斉衆生済度(この世に生を受けた全ての人間の心の迷いから救うこと)の請願を果たさねばと、六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)を自らの足で行脚して、救われない衆生、親より先に世を去った幼い子供の魂を救って旅を続けているといわれています。このように地蔵菩薩は最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩であることから、古来より絶大な信仰の対象となりました。従いまして地蔵信仰は病苦の身代わり、子宝・子育て守護、厄除け、災害予知・危険防止、延命・開運、勝利祈願として身近な存在となりました。

            木之本地蔵菩薩銅像                        養智院木造地蔵菩薩立像

地蔵菩薩を本尊とする木之本地蔵院は滋賀県木之本町にある時宗の寺院で公式の寺号は浄信寺です。本尊は地蔵菩薩(秘仏)です。境内には秘仏本尊の写しである高さ6mの地蔵菩薩大銅像があります。明治27年(1894)に建立された眼病平癒の地蔵として信仰を集めています。本尊は日本3地蔵の一つとされ、伝承によれば天武天皇の時代(7世紀後半)難波浦(大阪府)に金光を放つ地蔵菩薩が漂着し、これを祀った金光寺を難波の地に建てたのが始まりといわれています。現在の木之本に移転する経緯についての伝承の一つとして、文武天皇(697〜702)が白山参詣の途上、木之本の地で紫の雲を見てこの地が霊地であることを知り、難波の金光寺を木之本に移したとするものです。秘仏である木造地蔵菩薩立像は国指定の重要文化財となっています。

         木之本浄信寺地蔵堂                               養智院本堂

日本3地蔵のうち一体が金沢市片町潤光山養智院に収められています。当院は一千有余年前の天長元年(824)淳和天皇の勅命により、大聖歓喜天を勧請して創建されました。また、伝承によれば当院のご本尊地蔵菩薩は加賀延命地蔵と称され、天長2年(825)弘法大師が北国を巡錫された時、能登の国吼桜山に登り一の霊木を以て一刀三礼して彫刻されました。尊像は丈2尺5寸の立像で元禄6年(1693)当院の住僧隆元は吼桜明神の霊告により、弘法大師御作の地蔵菩薩をお迎えしご本尊としました。正徳年間(1711〜1715)藩主綱紀公はこの辺りの寺院を悉く転地を命じましたが、公のある夜の夢に地蔵菩薩が現れて「養智院は鬼川の守護のため永く残し置かるべし、我必ずこの用水を守護すべし]と誓って姿を消されました。本地蔵菩薩は33年ごとにご開帳されます。直近のご開帳は平成3年でしたので次回は平成36年ということになります。また、毎年8月24日の地蔵まつりには多くの善男善女のお参りがあり諸願成就の仏様として金沢市民に親しまれています。

最後に私事になりますが当養智院の現坊守は石川滋賀県人会の会員で私の実妹である宮野孝代であります。従いまして地蔵祭り等の行事の際、私も受付係の助手として手伝いのまねごとをしています。なお、日本3地蔵の3体目は徳島県小松島市立江町に真言宗別格本山で、四国八十八カ所第十九番札所の立江寺に「延命地蔵尊」が安置されているそうです。

資料・文献

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A金沢の古刹 潤光山のしおり