唐崎の松について                      杉本 寛

兼六園の唐崎の松は霞ケ池北岸にあるクロマツで、加賀藩13代藩主前田斉泰(在位1822〜1866)が近江の唐崎から松の種を取り寄せて、育てたことからこの名が付けられたことはよく知られたことであります。昔から著名な名勝と知られた唐崎の松並の風景を園内に写す目的でこの作業が行われたようです。

文久年代(1861〜1863)作と伝えられています「兼六園絵巻」に描かれている唐崎の松はまだ幼い姿をしています。しかし、小さいながら池中に張り出した広がり、主幹が蛇行形を取りながら上に向かっている様子は、現在の姿を彷彿とさせます。従いまして、松の種を植えた年月を確定することは難しいことですが、斉泰候が13代藩主に就任してそれほど経過していない、1830年代頃ではないかと推定しますと、樹齢は約170年くらいと計算されます。その後、剪定・整枝を繰り返し仕立てられ、現在では低く枝が池面を覆うように広がり、兼六園の中でも特に枝ぶりの見事な樹姿となり、同園を代表する景勝の場所となっています。

毎年8月上旬から唐崎の松の剪定が始まります。管理事務所の庭師5人が総がかりで剪定にとりかかり、約1ヶ月もかかるそうです。その方法は、「透かし剪定」で鋏をほとんど使わず、手で前年の古葉を1本1本むしりとっていく手法で、雪が降ってもその間から落ちやすいように剪定するそうです。

11月上旬からは、木々の枝を雪折れから守るために、主要な樹木には雪吊りが行われます。雪吊りにはいろいろな手法がありますが、姿の美しさで最も優れた「リンゴ吊り」で行われます。唐崎の松から始まる雪吊りは、冬を迎える風物詩として毎年テレビ・新聞等で全国に紹介されます。

一方この唐崎の松の種を提供した近江八景「唐崎の松」は、現在の大津市1丁目唐崎神社内に、三代目(?)が湖畔に大きく突き出た敷地いっぱいに枝を広げています。樹齢150〜200年と推定されています。兼六園の唐崎の松とほぼ同じ樹齢ですので、提供を受けた松は先代であったのかもしれません。

近江八景の「唐崎の夜雨(やう)」や松尾芭蕉の「辛崎(からさき)の松は花より朧にて」という句で名高く、句碑も残されています。最初の松がいつ植えられたか定かでないそうですが、伝承では天智天皇(在位626〜671)の頃とも、推古天皇(在位592〜628)の頃とも言われています。

このように由緒ある唐崎の松の子孫が金沢兼六園で見事に成長し、故郷滋賀県との絆となっていますのは大変楽しいことと思います。

    兼六園 唐崎の松                兼六園 唐崎の松              近江八景『唐崎の松』

謝辞

唐崎神社「唐崎の松」は滋賀県広報課山奥氏のご厚意により、滋賀県が著作権を所有しておられる写真を転用しました。厚く御礼を申し上げます。

資料・文献

@『特別名勝兼六園−−その歴史と文化−−・本編』    1997.2初版発行 特別名勝兼六園編纂委員会監修

A『兼六園全史』                           昭和51年12月末発行 兼六園観光協会編集 版権 石川県