金沢藩の飛地だった今津町                            杉本 寛

江戸時代政治・経済・交通の中継要所として、各大名が近江に領した「飛地(本拠地から離れた領地)」は計19万石にものぼるが、これも在国大名領と同様に細分化されていました。例えば、仙台藩の伊達氏は蒲生・野洲郡に1万石を、那波(群馬県)の酒井氏は栗田・蒲生・野洲郡に5千石を、さらに真壁藩(茨城県)の浅野氏も神崎郡に5千石を領していました。

このように、近江内に飛地を持つ大名は、以下に述べる金沢藩を含め24家に達していました。また、旗本領については146名が、滋賀院など5家の宮門跡領、二条・広幡・菊亭の3家の公家領、本阿弥など6給人領等々の緒家に達していました。近江の重要性が再認識されます。

                                                            国道303号線

このような中で、金沢藩は湖岸に今津村・弘川村および梅津村の一部を領していたが、いずれも本国と京・大阪を結ぶ中継点としての役割が重要でした。前者は九里半街道(現国道303号線)で小浜と結ばれ、藩主前田利家の上京時の宿泊に供せられ、後者も七里半街道(現国道161号線)で敦賀と結ばれる交通の要所で、その藩邸は湖水に入る段階によって津入・津出の便が図られていました。加賀百万石にとって、近江の飛地は2500石に満たない極小領ではあったが、その経済的な役割は大きかったといえます。

今回は梅津村より先行して領有化した今津村・弘川村の飛地について概略を記します。天正11年(1583)賎ケ岳の戦いで、秀吉が柴田勝家に勝利し、秀吉は若狭からの荷は今津浦を経由することを安堵し、杉原家次が高島郡を知行しました。天正13年太閤検地が行われ、浅野長吉が高島郡を知行することになり、天正15年(1587)長吉は若狭小浜の荷は今津浦に着けることを命じ、以降、今津浦の重要性が増してきました。

文禄4年(1595)、前田利家は秀吉に今津・弘川村両村を与えられましたが、以降金沢藩の飛地として明治維新まで継続しました。当時、高島郡今津領域は、目まぐるしい領主の交替を経たが、今津浦を有する今津・弘川村は江戸時代300年間、金沢藩の支配下にありました。

在地の支配は当初、河原林甚六に任され、前田利家も上洛の途次には甚六宅に立ち寄り、また大阪の陣では、三代藩主前田利常の軍も今津を経由したといわれています。元和6年(1620)には、甚六は甚右衛門と改め、金沢藩今津代官に任命され、二代目甚右衛門の時には、利常から今津姓を許されたといわれています。元和7年(1621)、金沢藩は金沢城修築のために大阪から材木を取り寄せたが、この時大津から梅津までの湖上輸送や、米を換金するために大津への蔵米輸送が必要になってくると、寛永7年(1630)には今津氏の屋敷内に城米保管としての蔵屋敷の設置を甚右衛門に命じました。金沢と上方を結ぶ接点として、今津氏は重責を担いました。

           現在の今津浜                                現在の今津港











また元禄3年(1690)、石田村が金沢藩奉行所に今津・弘川村の乱暴を訴えるということもあり、民事問題にも関わっていたようです。

                                                          今津ヴォーリズ資料館

明治5年(1872)金沢藩今津役所は空き家となり、当時の今津村は、石川県に払い下げを願い出て、今津村小学校設立となりました。その後大正12年(1923)ヴォーリズ設計による百三十三銀行今津支店が竣工しました。昭和8年(1933)銀行合併により滋賀銀行今津支店となり、その後銀行移転後昭和53年〜平成13年まで町立図書館として使用されてきました。平成15年、ほぼ建設当初の姿に修復され、今津ヴォーリズ資料館として、新たな保存活用が図られるようになりました。当時と同じくヴォーリズ設計の今津教会は、平成15年、国の登録有形文化財に指定されました。

現在、ヴォーリズ資料館は今津在住の有志の女性(アクト21)によって運営されています。女性のグループによる見学が多いようです。金沢藩今津代官所は、姿を変えヴォーリズ設計の貴重な文化遺産となっています。

付記

@ ウィリアム・メレル・ヴォーリズは米国生まれの敬虔なクリスチャンであり、1905年24歳のときに来日しました。彼は八幡商業高校の英語教師として2年間勤め、退職後メンソレータムで有名な近江兄弟社の設立に携わりました。芸術的天分に恵まれたヴォーリズは、音楽、絵画、作詞も得意としていたが、とりわけ建築に情熱をささげました。ヴォーリズ建築事務所の活動は全国に及び、学校、幼稚園、教会堂、住宅を中心に1千件を超える建築を残しました。 最近新聞紙上で賑わせました。滋賀県豊郷小学校の旧校舎もその一例です。

A 今回の取材に関して、今津町教育委員会生涯学習課郷土資料係 門野晃子さんから貴重なアドバイスを得たことを付記し感謝します。

資料・文献

@今津町史 第二巻 近世 平成11年3月31日発行 今津町史編集委員会

A今津町史 第三巻 近代・現代 平成13年6月29日発行 今津町史編集委員会

Bパンフレット「今津のヴォーリズ建築」 今津ヴォーリズ資料館