令和7年秋の懇親会開催           文責 堀 勘四郎

今年の懇親会は、近江ゆかりの寺・武佐山廣濟寺探訪と「日々魚好寄 東木」での食事会。

 

10月21(火)参加者9名は、10時に武佐山廣濟寺に集合。この廣濟寺は、会員の武佐百合子さんのお寺。ご案内をお願いしてありましたが、あいにく葬儀と重なり、代わりにお寺に詳しい元教師の中田隆二さんが講師役として出迎えてくれました。葵の紋が刻まれた門を潜って境内に入ると脇に初代の鐘があります。この鐘には加賀一向一揆の拠点だった「尾山御坊」の由来が漢文で彫り込まれていますが、廃棄され溶かされる寸前に中田さんが漢文の内容を確認して救ったとのこと。

真宗大谷派武佐廣濟寺の本家は、滋賀県近江八幡市武佐町にあり、加賀の一向一揆の後、加賀門徒の願いにより、文亀元年(1501年)、祐乗坊(江州武佐廣済寺十一代厳誓坊祐念の次男)が派遣され、御山御坊看坊職に就いたのが、この寺の始まり。祐乗坊は、加賀下向にあたり、「列祖御名」「十七箇条制禁の御書」「御俗姓御文」を携えてきました。このうち「十七箇条制禁の御書」には、「お寺で並ぶときは、男が前、女が後ろ」といった「現在では、受け入れられないような文言があるので、あんまり公にならない」(中田)。しかし、天正8年(1580年)に信長軍、柴田勝家により御坊陥落。三代祐盛は、内川郷に移り、門徒とともに本願寺法灯を守ります。五代祐益の時に加賀藩二代藩主前田利常より、安江郷(今の尾崎神社の地)に寺地を賜り廣濟寺を建立するも大火に見舞われ消失。寛永13年(1635年)に現在地に新しく寺地を賜り現在に至っています。

 

 

武佐山廣濟寺と“葵”の縁 江州武佐山廣濟寺の十三世安休は、軍略と調停に長け、加賀一向一揆の和解、越前朝倉義景との折衝、石山合戦期の外交工作などに尽力したと伝わっています。こうした功績により、安休は、家康から、腰刀「村雨」、岡崎の姓、そして、廣濟寺における葵の紋の使用許可を受けました。この葵の紋は、江州廣濟寺のみならず、この加賀の武佐山廣濟寺でも葵を寺紋とする習わしが続いています。寺には、徳川家からの贈答による葵紋入りの七条袈裟伝わっています。

 

(葵の紋の入った黒漆箱を持つ、中田隆二さん) なお、廣濟寺では、この地に移って以来およそ400年、毎年3月の初めに、蓮如上人・実如上人の追弔法要「武佐の御忌」が営まれています。寺に伝わる宝物が開帳されます。まだ、ご覧になってない方は、是非。 廣濟寺探訪のあとは、20分ほど歩いてランチ場所「日々魚数寄 東木」(金沢市尾張町)へ。東木の大将は、会員の東木さんのご子息、東木宏憲さん。 頂いたランチは、1,500円。佃煮やつけもの、豆腐などもすべて大将の手作り。羽釜で炊いたご飯もお味噌汁もおかわりできます。「お造り3種」(880円)をプラスしました。 お酒も少しいただいて、話も弾み、満足の昼食会でした。

 

来年度は、このような親睦会を春と秋の2回開催したい、と思っています。
多くの会員の皆様のご参加を待っています。


☆御山御坊看坊職の寺 真宗大谷派 武佐山廣濟寺
住所 金沢市扇町12−21
電話 076-261-4609
アクセス 横山町バス停より、徒歩1分
駐車場 なし

☆日々魚数寄 東木
住所 金沢市尾張町1-5-3
電話 050-5485-1778
アクセス 尾張町バス停より、徒歩4分
駐車場 なし