第19回石川滋賀県人会総会および懇親会について  文責 杉本 寛&岡田 稔

 第19回石川滋賀県人会総会及び懇親会について  文責杉本寛及び岡田稔  2020年2月16日(日)第19回石川滋賀県人会総会が勤労者プラザで開催されました。今年も昨年と同様に全く雪のない穏やかな天候に恵まれた総会となりました。参加者は12名とやや少ない人数でしたが委任状を含めて総会の成立の報告があり開会となりました。

 まず、会長より一昨年は漢字一文字で世相を示す「災」に対して昨年は希望に満ちた「令」になったことは喜ばしいことであったこと、滋賀県関係としてテレビ番組「スカーレット」と「麒麟がくる」が人気上々と嬉しい話題となりつつあります。それから2021年11月には石川滋賀県人会が設立20周年を迎えます。設立当初から携わってきた一人として感無量の気持ちです。 

 続いて竹田顧問による含蓄の深いスピーチを要約しますと、「降る雪や明治は遠くなりにけり」著名な俳人中村草田男が昭和6年30歳の時母校を訪ねた時詠んだ句です。明治の末年45年からほんの20年しか経っていない時点で昔日の感を深くしたのですが、竹田先生は昭和の始め生まれで平成の終わりを経験した私たちにはそれ以上はるか遠くなってしまった昭和を感じます。私たち蘇らせるものはどこから来るのか?小学生の頃、盧溝橋事件にはじまった支那事変、真珠湾攻撃、敗戦、そして高度成長時代以降、豊かな暮らしを過ごしてきた私たちにとって「豊穣の時はいつまで続くやら」の感がします。近着New York Academy of Science のトピックは10年先AIの登場によって人の持つ手仕事の技術は科学・技術・工学・数学へとその座を移すだろうという特集が掲載されているそうです。素晴らしい道先案内有難うございました。

 議事に入り各担当理事から2019年度事業報告と収支決算報告並びに監査報告をされ一括をしてご承認をえました。

 事業では5月26日(日)第18回故郷訪問バス旅行を24名が参加しました、大河ドラマ明智光秀の先取りということで光秀の菩提寺である西教寺と比叡山延暦寺をゆっくりと参詣しました。

 7月24日には滋賀県三日月知事と理事7名による懇親を約1時間勤労者プラザでおこないました。

 引き続き恒例の講演会を副会長の岡田稔氏からお伺いしました。内容が相当専門的ですので、岡田副会長自身が要約された講演原稿をそのまま添付します。

 流石に土木技術の最先端の内容に感銘を受けました。特に金沢港の大水深岸壁工事の成功はクルーズ船に関して横浜港と双璧をなすそうです。その間の各位のご努力に敬意を払います。

 講演会終了後会場を、内灘の「はねや」へ移し懇親会をおこないました。いつもながら豪華なお料理と北陸の銘酒に酔いしれながら瞬くまに2時間が経ちお開きとしました。

 

 講演会要旨

 はじめに、出生地は近江八幡市長命寺から始まり、幼稚園での珍事や小学校1年生での楽しい思い出話の後、中学校時代まで母親の薪炭商店を手伝い、配達・集金・御用聞きを経験したことが、その後に大きな糧となったとの事。石川県への就職は、大学時代の教授が本人への連絡なく建設省と勤め先をかってに決めたが、結果に感謝しているとも。講演では、本人が直接関わった経験談を山川里海の分野で進められた。最初に、旧鶴来町の平等寺川での土石流対策砂防に取り組み、急峻な山岳現場での作業員の苦労への理解を言われ、2番目に輪島市の深見・鷲嶽地すべりで、長期にわたる地すべりを止められた事、3番目は羽咋市の永光寺(ようこうじ)川砂防工事。この寺は金沢大乗寺二世の瑩山禅師が開山された曹洞宗出世道場の勅願寺という由緒ある名刹であるが、この川の埋蔵文化財発掘で奈良時代以降5回もの土石流発生の痕跡が判明し、川を掘削したら大量の巨石が出現したため、これを活用した岩組護岸の渓流づくりを行い、それまで朽ち果てていた大堂伽藍を復興する契機となったとのこと。なお、この瑩山禅師は9年後門前に総持寺を開山されており、次の峨山禅師は永光寺の朝勤め後、約50km離れた総持寺の朝の読経に間に合わせたと聞く峨山道創始者であるとも。そして、永光寺境内の川沿いの弁天堂の自然落差式噴水は土石流災害で壊れていたものを復活させ、その高さ具合を毎年見に行き、低いときはお寺にノズル掃除を知らせているとの事。4番目は旧鶴来町の後世川で当時の町の産業公園計画とタイアップして川づくりをしたこと。5番目に平成5年の能登半島沖地震が引き金となった能都町久田の地すべり発生とその対策、6番目は平成9年1月の重油漂着事故で千里浜海岸が重油で覆われ、全国からのボランティアで綺麗になるが、地元短大の講師が、交通開放すれば残余油が地中に浸透するとのインターネット警告に、3カ所の砂層油分調査をし安全性を確認の上交通開放したとの事。7番目は木場潟の水質改善への啓蒙施設としてクレソンなどによる水質浄化施設を開設し今も作動している。8番目は七尾市の御祓川に架かっていた長生橋が河川拡幅のため不要となるが移設復元した話。日本で最初(昭和26年)のプレストレスコンクリート橋(コンクリートの中にピアノ線を入れ、両方から引っ張って固定し、コンクリートの曲げに耐えさせる方式)を壊さず希望が丘公園に移設保存した。9番目は平成17年3月31日(土)能登一円10万世帯の停電を引き起こした羽咋市福水地すべり。土日にかけて発生した地すべり地にあった高圧鉄塔が倒壊したためで、緊急調査のため入学式のある金沢工大の教授と岡田土木部長は職員の不同意をも顧みずヘリコブターで現地調査し緊急対策を指導したこと。10番目は金沢港の大水深岸壁について。膨大な予算獲得に知事を先頭に奮闘し、目標を達成できたことは、関係者一同の頑張りであり深く感謝しているとの事。続きは、懇親会でのつまみやりとりとなる。

 

     総会風景 

 

 

 記念撮影

 懇親会風景