第18回 故郷訪問バス旅行            文責 杉本 寛

 今年も5月26日(日)、滋賀県人会でふるさと(大津市西教寺と比叡山延暦寺)を訪ねることになりました。今回で18回目のバス旅行になりますがすべて天候に恵まれ不思議な巡り合わせで日頃の行いの所為かと自ら自慢しています。
 但し当日は5月にも関わらず各地で猛暑日となり特に北海道佐呂間町で39以上の最高気温を記録しましたが、当日午後は標高800mの爽やかな初夏の比叡山を満喫しました。
 午前7時に金沢駅を出発した一行は松任車遊館で残りの参加者をピックアップし合計で24名の会員及び準会員が一路近江へ。木之本インターで高速道路を下車し湖北から湖西道路(国道161号線)を経由して琵琶湖を左手に臨みながら最初の予定地西教寺に到着しました。西教寺は私も初めての訪問地でその素晴らしい堂塔に感銘を受けました。天台真盛宗総本山西教寺は聖徳太子が恩師である高句麗の僧慧慈・慧聰のため創建されたと伝えられています。その後久しく荒廃していましたが、天台宗慈恵大師良源上人が復興念仏道場としました。 以降恵心僧都、鎌倉時代恵鎮上人の入寺を経て室町時代の1486年真盛上人が入寺に至り、堂塔と教法を再興不断念仏道場とされました。爾来全国に末寺を有する総本山となりました。当日午前中法要の最中でありながら我々のために約1時間同寺のご僧侶によって重要文化財の本堂及び客殿を案内していただき更に小堀遠州作の客殿庭園と穴太衆ゆかりの庭園に感銘を受けました。
 西教寺は明智光秀所縁が深く信長の比叡山焼き討ちの際当寺も災禍を被りました。その直後築かれた坂本城の城主となったのが光秀でした。光秀は西教寺の檀徒になるに及び、復興に大きく力を注ぎました。天正10年(1582年)にこの世を去った光秀はその6年前に亡くなった内室煕子や一族の墓と共に祀られています。
 熱心な僧侶の案内に昼食時間をはらはしながら予定時間を過ぎて、琵琶湖大津プリンスホテル和食「清水」に急行し、豪華な会席料理にしました。このレストランは琵琶湖湖畔に面した36FLにあり眺望を楽しみながら生ビールと日本酒で喉を潤しつつ日頃の煩雑な雑事を忘れさせてくれました。
 昼食後一路比叡山延暦寺に向かいました。予約していたボランティアガイドと連絡を取りながら予定より1時間遅れて14:30に山頂駐車場に到着。延暦寺は南都興福寺に対して北嶺延暦寺として知られ延暦4年(785)に最澄が入山し788年に一乗止観院建立、804年に最澄は空海と共に唐に渡り翌年帰国後天台宗を開き根本中堂と改め823年勅許をえて比叡山全体の寺院を延暦寺と称した。(年号を寺名の最初)以来多くの名僧がここで修行して宗祖となり、比叡山は「仏教の総合大学」「日本仏教の母山」と呼ばれるようになりました。1994年比叡山延暦寺は世界文化遺産に登録されました。ボランティアガイドさんと延暦寺のお坊さんの説明から根本中堂の三大ポイントは「不滅の法灯」「花天井の百花図」「秘仏薬師瑠璃光如来」であり詳しく知ることが出来ました、特に1200年以上燃え続く法灯は信長の全山焼き討ちにより一時法灯も鎮火したが、山形立石寺に分火してあったことにより後日再火したようです。
 平成28年度より10年かけて国宝根本中堂ならび重要文化財の回廊を改修中でした。本堂の銅板葺き、回廊の栃葺き葺き直し、全体の塗装彩色の修理が主な内容となります。工事の期間中も参拝出来るよう処置をしながら、次代へ祈りと伝統が文化財とともに継承されています。工事期間中は国宝・重文ならではの珍しい作業を行っています。根本中堂中庭に修学ステージを完成し、根本中堂の屋根の高さまで登ることが出来、工事の一端を垣間見れます。
 今回の旅行は予定時間をオーバーしましたので最後の訪問予定地「旧竹林院」の見学を割愛し一路帰路につきました。途中高島の道の駅で故郷の土産を確保の上全員無事にほぼ予定時間に松任、金沢に帰着しました。
 来年については国宝唐門の補修が完了する予定の竹生島と湖北地方を検討したいと考えています。

           西教寺参道                             明智光秀と一族の墓                                  













         西教寺穴太式庭園                            延暦寺ボランティアガイド