当会会員の水口様より以下の投稿が寄せられましたので、掲載させていただきます。

お隣福井県の越前市で「穴太衆」が積んだのではないかと言う遺構が見つかったが、すぐに壊されてしまう運命にあり、できるだけ多くの人に見てほしいと言う友人からお知らせがありました。 滋賀県人の皆さまにおいては、関心を持たれる方がいらっしゃるのではないかと思い、お知らせする次第です。できれば、みなさんにもお知らせしていただければと。 以下、長文ですが、友人の文章です。
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越前市市庁舎の建て替え工事のために、敷地内の緊急発掘調査を行ったところ、前田利家公が加賀に入る前のころに築かれたと推察される府中城の石垣が発掘されました。 450年も前の石垣が、築かれた当時の姿で発掘されたのです。

 この発見は、ほとんど報道されていないので、石川県内ではご存じない方も多いでは・・・ いえ、ほとんど知られていないのではないでしょうか。  近江地方で活躍した穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石工集団が、武生周辺で三か所で採掘される流紋岩で、独自の工法で築いたのではないかと言われています。されに、穴太衆は初期の金沢城築城にも関わりがあるのではないか、とのことです。  安土城〜府中城〜金沢城初期とのつながりがみられる貴重な石垣です。    
 しかしながら、新庁舎建築のスケジュールがタイトで、9月1日の市議会で、遺構の真上に庁舎を、予定どおりに建築し、遺構は記録保存と一部を広場に設置する、という計画が議決されました。  その議決を知って、急いで武生に行ったところ、遺構の周りは工事執行のため高い塀で囲われ、工事車両が遺構の撤去作業の準備を進めていました。  Mさまにご案内いただき、庁舎別館の外階段から、遺構の全景を望みました。    
力強い石垣。 まだ重機の無い時代に、地域の岩を運び築いた技術と意気込みが身近に感じられます。 石垣の内部には、柱の礎石のあと、庭園のようなものも見られます。古文書とおりの遺構。  まだ解明されていないことも多く、現時点での記録保存が万能と思えない、なんとももったいないと感じたのは、私だけでしょうか・    
金沢に住む私は、金沢大学の移転以降、金沢城の現存する石垣や遺構を長年に渡って調査保存。その経緯を市民に公開。さらには喪失した櫓や、庭園を復元してきた経緯を身近にみてきており、府中城跡の遺構については残念な思いを抱きました。   
「遺跡は埋めて保存」 次の発掘のときまで土の中に眠らせ、子孫に調査保存をゆだねる。 というのが、開発と保存のベストプラン だそうです。   が、新庁舎の現時点でのプランでは、石垣上部の形状保存は厳しいとか。    
そこで、せめて、小さなプラン変更を、と市民は提案されました。 庁舎エントランス部分がちょうど石垣の部分になり、強化ガラス越しに、遺構が望めるようなプランへの変更です。  ちょうど、歴博の柱の構造が見られるような、21美の水槽が見られるような床構造へのプラン変更を提案。ルーブルにもありました!! 心ある市民の皆様は、その方策を検討するよう求めたそうです。・・・ が、議決には至りませんでした。  議決どおりに工事が進むと、この遺構は近いうちに姿を消します。  お時間のある方は、武生へ。見て感じてみてください。
発掘調査情報⇒ http://www.city.echizen.lg.jp/office/090/030/honchouhakkutu/hakkutushinchaku.html
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タイムリミットについては記載がありませんでした。 せめて一部、ガラス張りにして保存を、という心ある市民の方々の思いが受け入れられる方法は無いものでしょうか。 「穴太衆」。 滋賀県人の方が、保存を願うのかもしれません。