第14回故郷訪問バス旅行紀                          杉本 寛

5月31日(日)第14回故郷訪問バス旅行を実施しました。今年から観光バスの安全対策の一環として国土交通省の強力な指導により観光バスの代金が約70%アップになりました。やむを得ず参加費を20%上げましたが、内容の充実化と会員および支援者の協力により28名の参加者が有意義な一日を過ごすことができました。

最初の訪問先は多賀大社です。9年前平成18年6月第4回バス旅行以来の再訪問になりました。”お伊勢参ればお多賀にも参れ、お伊勢お多賀の子でござる”と江戸時代からPRされ現在も年間170万人の参詣者で賑わう滋賀県一の大社です。

日本の国土、天照大神初め八百万(ヤオヨロズ)の大神を創った伊邪那岐命と伊邪那美命の夫婦祭神に延命長寿と子孫の繁栄を祈願しシンボルである太鼓橋(太閤橋・・秀吉が母の長寿を願い大金を寄進したため命名されたとの言い伝えあり)のほとりで集合写真を撮りました。

                         多賀大社太鼓橋前

次は昭和12年豊郷町出身の丸紅専務古川鉄治郎氏が365,000円(当時の豊郷町の予算の10倍)を寄付してヴォーリズ設計による白亜の殿堂と呼ばれた一部3階建て鉄筋コンクリートの豊郷小学校を建設しました。東洋一の小学校と町民から愛された校舎について平成12年当選した新町長の提案により老朽化と耐震性の問題により急遽解体新築化が決定しました。
由緒ある校舎を解体することに町民から猛反対が起こり遂には町長のリコール及び訴訟に発展し全国ニュースにもなりました。その後リコールされた町長が再選され、紆余曲折を経て新校舎を別の箇所に平成16年3月に完成させ、児童は新校舎に移りました。旧校舎は耐震化等の工事後そのまま保存され現在町の諸施設として有効に活用されています。当日も音楽会に利用されていました。また貴重な観光資源として全国から訪問者が絶えないそうです。校舎内を見学しましたが広々とした廊下、階段手摺にユーモアたっぷりに作られた兎と亀の彫刻に心が癒されます。

                         旧豊郷小学校廊下手摺の兎と亀

続いて同じ豊郷町内に保存されている「伊藤忠兵衛記念館」を訪問しました。現在の大手商社伊藤忠・丸紅の創始者で近江商人の筆頭にあげられる伊藤忠兵衛は江戸末期の1842年に生まれ繊維の小売行商から、長崎の出町で外国貿易の状況に刺激を受け、彼は遂に我が国の貿易のパイオニアと言われるほどになりました。そして近代的な経営方針を打ち出しました。死後次男精一が明治36年17歳の若さで父の跡を継いで二代目忠兵衛を襲名し遂に「総合商社」の基礎を築きました。
この後継者指名を行ったのは初代の妻、八重夫人でした。豊郷本家における八重夫人は1849年〜1952年の103年間伊藤家のみならず、初代、二代目忠兵衛の力強いアシスタントとして大活躍しました。特に重要な仕事は新入店員の教育でした。まず本店に見習い店員として採用されると、豊郷の本家で1か月、八重自らじっくりと行儀作法やそろばん等の必要な教育をほどこしていました。入店後に問題を起こした場合も、直ちに豊郷本家へ送られ再教育されるのが常でした。この豊郷本家こそ現代における社員研修所の先駆けと言っても良いようです。中山道に面して明治15年に建てられ伊藤家が生活していた頃そのままの形で残され当時の暮らしぶりが偲ばれます。

昼食は豊郷町の隣の愛荘町老舗旅館「竹平楼」にしました。中山道沿い愛知川宿の同旅館は宝暦8年(1758)「竹の子屋」とい旅籠屋を営み、明治11年明治天皇が二度お立ち寄りされたのは三代目平八の時でした。天皇のご滞在はわずかな時間でありましたが地域の誉れは脈々と受け継がれています。明治天皇の御座所は数寄屋風の書院造で現在国登録有形財に登録されています。屋号は四代目平八の折「竹平楼」と改め現在は料理旅館として暖簾を守っています。同旅館の名物の「鯉のあめ煮」は、代々受け継がれており秘伝のたれを用い、じっくり時間をかけ丹念に煮込んだ逸品で十分堪能することができました。

                         竹平楼での食事風景

満足した昼食後昭和10年建立された東郷平八郎謹書「明治天皇御聖蹟」碑の前で集合写真を撮って最後の訪問地である湖東三山の一つ百済寺に向かいました。以前故郷訪問バス旅行で西明寺、金剛輪寺を訪れていますのでこれで三山すべて参詣したことになります。

                         明治天皇御聖蹟碑前

百済寺は滋賀県最古級の古刹で推古天皇の御代に、聖徳太子の御願により渡来した百済人のために創建されました。1400年の歴史を誇りますが当寺院は信長により悉く焼亡しました。慶安3年(1650)本堂、仁王門、山門等が竣工されこれが現在の建造物だそうです。本堂が重文で本尊は奈良時代の木造十一面観世音菩薩立像は秘仏になっています。本堂前では最後の集合写真を撮り帰路につきました。

                         百済寺本堂前