長野滋賀県人会会員伊藤静子さんをお迎えして               杉本 寛

昨年(平成24年)6月24日長野滋賀県人会創立10周年記念祝賀会にお招きを受け長野市を訪問しました。祝賀会会場で長野滋賀県人会会員の伊藤静子さんに声を掛けられました。伊藤さんの人生の原点はい石川県旧松任市北安田の明達寺(みょうたつじ)の住職暁烏敏(あけがらすはや)先生であるとのお話でした。奇しくも私の自宅は明達寺から徒歩10分ぐらいの近所で石川県の偉人暁烏敏に興味と関心がありました。因みに私の住んでいる町の名前は暁烏敏の母親の名前「千代野」と同じです。

伊藤さんは昭和20年4月満19歳の時、国民学校3年の教師として奉職されましたが8月に終戦を迎え、軍国教育から民主主義教育に変換した時期に当たり、教育界も大混乱に陥りました。若い女教師であった伊藤さんにとって何も信じるものがなく不安定な気持ちだったようです。教科書に墨を塗り、教科書の文章が続かず教える側も子供達も大変不幸な時代でした。私は伊藤さんの一回り年下ですが、当時滋賀県東浅井郡朝日国民学校1年生で墨を塗った教科書を使用した覚えがあります。。

暁烏敏は石川県のみならず国内の仏教界で名の知れた傑僧であり、東本願寺宗教改革の尽力されました。明治43年より夏期仏教講習会を1週間に亘り自坊で開催し全国各地から受講生が集まりました。この夏期講習会はその後毎年続けられました。昭和20年終戦の前日である8月14日に暁烏敏はいち早く敗戦の情報を知り、戦後の立て直しを決意し8月15日から始まる第36回夏期講習会の内容を急遽変更して聖徳太子17条憲法の講話にしたそうです。その時暁烏敏の共鳴者である金沢市出身の毎田周一は長野師範学校と石川師範学校の教師を歴任していましたが、暁烏敏の決意を尊重して一家揃って長野に移住し「信州真正仏教大学」を設立し暁烏敏の教えを広め青年教師達の指導にあたりました。

昭和21年の夏期講習会は37回続いた中で最も多数の人々が集まり、記帳した人数だけで235名でした。長野からの参加者は100名で毎田周一の許に集まった小学校の教員達が主でした。混乱した戦後の教員生活の中、子供達の申し訳ないから教師を辞めようと考えておられた時に、伊藤さんは毎田周一のお誘いを受けそのグループの一員として参加されましたが最も若い教師でした。伊藤さんは長野に集合するまで1日かかり長野から松任まで丸一日かかったそうです。昭和21年の夏、すしづめで窓から乗るようなつらい長い汽車の旅でしたが、暁烏敏の優しく諭す聖徳太子の17条の憲法を中心にした教えを真夏の暑さを忘れて聴き入ったそうです。特に第1条「和を以て貴しとなし忤(さから)うことなきを宗とせよ」は揺らいでいた自分の信念を呼び戻すきっかけになったようです。

1週間に亘った夏期講習会の参加者は本堂や庫裏の片隅で寝泊まりしたそうです。伊藤さんはそれから4年間継続して夏期講習会に参加されました。昭和21年には暁烏敏は満70歳でその10年ほど前から失明状態の不自由な中から驚異的な活動を続けておられました。

その後伊藤さんは結婚されご主人と長野県大町市でタクシー会社を経営されました。暁烏敏の教えを糧として、百数十人の従業員とともに健全な会社をモットーに無借金で黒字経営を続けられ、この間何度も石川県(金沢市、能登方面、北陸温泉地)を従業員慰安旅行として訪れたそうです。しかし松任地区へは再訪することなく過ぎ去りました。数年前会社経営の第一線から退かれ、いつか心のふる里明達寺にお参りしたいとのお考えだったそうです。

昨年お合いして以来暁烏敏を通して伊藤さんと交流を続けていましたが、4月17日明達寺にお参りされることになり金沢駅までお迎えに行きました。私自身明達寺境内までは再三訪れたことはありましたが、寺内部については不案内でしたのでこの機会に明達寺坊守の暁烏和代様にお願いして伊藤さんと合わせてお参りさせていただくことにしました。

この情報を知った暁烏敏の業績を高く評価している地元北國新聞社の記者も同道することになり大きなニュースとして新聞に掲載されました。伊藤さんは86歳の高齢にかかわらず知性と教養に富んだ若々しいご婦人で、明達寺内外を感慨深く当時を想い出しながらこころの師を偲んでおられました。その姿に私自身深く感銘を受けた一日でした。

その夜お客様である伊藤さんに逆に招待され日航ホテルで高級日本食をご馳走になり約3時間心ゆくまで歓談させていただきました。なお、当日は石川滋賀県人会馴染みのホテルキャッスルイン金沢で宿泊され、明くる18日に大町にお帰りになりました。最後になりましたが伊藤さんとの交流を応援して頂いた長野滋賀県人会副会長兼事務局長の丸山陽子さんに感謝します。

参考資料:暁烏敏 世とともに世を越えん 上下 松田章一著 松任市発行

4月18日付け北國新聞記事より(上)

明達寺


伊藤さん