石川滋賀県人会
第11回故郷訪問バス旅行紀 事務局
6月3日(日)、第11回故郷訪問バス旅行が実施されました。今回は「近江のかくれ里」を訪ねて湖北地区を中心に訪れました。富山滋賀県人会会長の宇於崎様のご参加をいただき、総勢22名の旅行となりました。以下にコースの順を追ってご紹介します。
最初の訪問地は、旧西浅井町の特産品販売が行われている道の駅「水の駅」です。旅行開始からはやくも沢山のお土産を買っておられました。
最初のかくれ里は奥琵琶湖歴史の里菅浦で須賀神社を訪れました。菅浦は、中世において畿内の先進地域であった琵琶湖北端部つづら尾崎先端に位置し、背後を標高約400mの山々に囲繞(いじょう)された狭隘(きょうあい)な扇状地に展開する集落です。
また、須賀神社は、元は保良神社(菅浦大明神)と称し、天平宝字8年(764年)11月の創立と伝えられています。明治42年(1909年)に小林神社(小林大明神)赤崎神社(赤崎大明神)を合祀して須賀神社と改称しました。(以上菅浦郷土資料館パンフレットより抜粋)
須賀神社鳥居 社への道中
社への階段(裸足) お願い事は??
資料館内部 見学も熱心に!
続いては須賀神社から少し離れた奥琵琶湖パークウェイつづら尾展望台にて昼食です。少し雲がかかって景色は・・・・。
展望台から伊吹山を望む ランチタイム
ランチタイム ランチタイム
次は湖北仏教文化のメッカ「己高閣(ここうかく)」と「世代閣(よしろかく)」です。己高閣は昭和38年滋賀県下においては、初めて国庫の補助を受け建設された文化財収蔵庫で、延喜式々内社與志漏神社(よしろじんじゃ)(祭神須佐之男尊、波多八代宿禰命)の境内地に建立され、己高山(おだかみやま)諸寺に祀られていた諸仏のうち、本尊十一面観音、七仏薬師他、重要な仏像を安置収納されている。世代閣は、当地の鎮守與志漏神社と世代山戸岩寺は往古より特別な相互関係にあり尊崇の中心となっておりました。そこで村人相計って当地区の石器時代以降の文化財や戸岩寺の寺宝等保存のため、区民の浄財のみによって収蔵庫を建設し、山号に因み「世代閣」と命名した。(地元パンフレットから一部引用)
己高閣 世代閣
東アジア交流ハウス「雨森芳洲庵」
雨森芳洲とは江戸中期の儒学者で、朝鮮との外交に活躍した人です。本芳洲庵は昭和59年(1984年)に芳洲の出身地に建設されました。芳洲の生涯をたどり、思想や業績を顕彰するとともに、東アジアの交流と友好をめざす拠点であります。
大きなケヤキのそびえる敷地からは、遠く己高山に連なる山々がのぞまれます。庵内には、芳洲の著書や遺品、芳洲が深く関わった朝鮮通信使の資料などが展示されています。雨森芳洲については本ホームページ「寄稿文(滋賀と石川の縁)第17回」も参照して下さい。(「東アジア交流ハウス雨森芳洲庵」のパンフレットから一部引用)
芳洲庵入口 芳洲庵庭園
庵内にそびえるケヤキ 庵内の説明員
庵内 雨森芳洲像
渡岸寺観音堂(向源寺)
記念撮影
近江孤篷庵(小堀遠州縁のお寺)
小堀遠州は天正7年(1579)、現在の長浜市小堀町に生まれ、備中の国政を司り、後に「遠州」と号した。豊臣秀吉・秀長、徳川家康・秀忠・家光に仕え、茶・華・歌・書・香・鑑識道や造園建築等に才腕を発揮した偉大なる総合芸術家、文化人として知られる。
近江孤篷庵は禅臨済宗大徳寺派に属し、京都孤篷庵と同じく円恵通禅師(江雲和尚)が開山、その後移築、改易(取り潰し)により衰退、伊勢湾台風による前面倒壊の曲折を経て昭和40年(1965)再建されました。(以上近江孤篷庵パンフレットより引用)
孤篷庵への参道 参道から山門を望む
山門 寺院正面
枯山水の庭園 遠州流庭園の石組み
最後はお待ちかね!恒例の鮎茶屋で鮎づくしを堪能
帰着は予定時間を過ぎてしまいましたが、参加頂いた皆様お疲れ様でした。