年頭にあたり当県人会顧問の竹田先生より「石川医報」(平成24年1月1日発行)に掲載された「辰年に思う」と「老残−辰年の憂い」の2編をご投稿いただきました。右図は本冊子の表紙を飾っている先生制作の洋画「白と赤の椿」です。本作品に寄せて先生は以下のように語られています。

花の少ない早春、雪に映える花として珍重される白と赤の椿をモチーフにした。椿について反射的に回想するのは、アラバマで毎年開かれる州花を愛でるCamellia showの場景(笠舞雑記-9-2010)である。いまひとつはデュマ・フィスの小説La Dame aux cameliasのヒロイン、マルグリット(M)が桟敷席にいつも置くlorgnette(オペラグラス)とbonbon、そしてcamelia。初出しの行には”月の二十五日間はその椿の花は白く、あと五日間は紅であった”とある(吉村正一郎訳 15p,1934)。この「二十五」と「五」の意味は通人にまかせるしかない。わたしが描いた椿の白と赤には何の意味もない。ツバキとバラの花弁を油彩で描きわけるのは難しい。

辰年に思う                                     竹田 亮祐

今年は「辰」の年、動物界では想像上の「龍」にあたる。老いは他人事のように思っていたが、己の齢が十二支を七回繰り返したという現実に驚かざるを得ない。

昨秋、三十年来ご懇情を受けている名古屋大学名誉教授・祖父江逸郎先生から近著「天寿を生きる」(角川書店10,2011)をいただいた。先生は長年、長寿研究の領域で多大の貢献をなされ「高齢者の生活と長寿科学」や「長寿を科学する」の名著を世に問うてこられたが、昨年九十歳の大台に臨み、センテナリアン(百寿者)を目指す思いで書かれたのであろう。五章にわたり自らの心身から紡ぎだされたかのような至言・警告的要約を各節ごとに付し”長寿と健康の秘訣”を自在に解説されている。

先生は、戦艦大和の艦上勤務のご経歴があり、もともと規律正しい日常を送ってこられたにちがいないが、八十代の前半で心臓の大手術を受けられた。その後は矍鑠(かくしゃく)として文筆活動を続けておられる(しかも原稿はいつも手書きである)。「天寿を生きる」のなかで先生は「万人共通の長寿の秘訣というものはないと考え、自分にとって本当に役立つものは何かを熟慮し、各自の個性に合わせ、美しく老い、天寿への道をそれぞれ開かねばならない」と述懐され、ご自身の経験から、九十歳の体力、筋力維持のための自ら工夫したストレッチ体操の励行、人の話は80パーセントを理解するよう、また読書量を減らさないよう努力する、新聞を読む習慣、朝の深呼吸、そして高齢長寿者をイメージしながら老いを乗り切るエネルギーを受ける積もりでライフスタイルをデザインするよう、つまり先輩の後塵を拝する生き方が勧められると結んでおられる。新春にあたりわが身はわが心で律し自らの生命を創っていかなければとつくづく思う。

一方においてわが国の人口ピラミッドは老齢(65歳以上)人口の方が圧倒的に多い逆三角形となり、センテナリアンの数が五万人を超える世が近々やってくることを示している。さらに世界の人口は現在地球上で生産される食料では到底賄いきれないスピードで急増している。人類生存の遠い将来を按じると人生設計を考え直す時代がやってくるかに思える。

残老−辰年の憂い                                竹田 亮祐

いつの間にか七回目の辰年を迎えた。齢を重ねるごとに逝く歳月の速いことをつくづく感じる。「昇龍」より「降龍」が相応しいというべくいまはもう黄昏を過ぎてすべてが薄暗いのである。

昭和初年までに生まれた人ならば、おそらくだれしも1945年で自分の過去にひとつのピリオドを打たねばならなかった古い日本の残像を心奥の片隅に残しているに違いない。幼少−少年期に教えこまれた明治以来の伝統的な徳目、日常の躾の故である。第二次大戦の敗北で日本は物心両面において一大転換を余儀なくされた。医学もまたアメリカ一辺倒となりドイツのMedizinische Wochenschriftなどを読む人はいなくなった。やがて好景気に浮かれ有頂天になりすぎた挙句国運に翳りがでてきたかにみえる。勝者のアメリカもまた国際社会において”too much related”の謗りに耳をかさすことなく半世紀を経て9・11の大惨事によってひとつの敗北感を味わったにちがいない。さらに対テロ策略の見当違いによって仇に仇をもってする先の見えない戦争で人心は荒び大きな経済破綻を招いてしまった。日本は3・11の東北大震災によって世界史に例をみない国土破壊と人的犠牲を蒙り、同時に起こった原発事故後の放射能汚染が大きな国難となり、いまやこれらの災害復興と心身ケアー対策に「日本の力」が問われようとしている。「物心」というと英語ではmaterially and spirituallyであるが、「心」の方についてふれてみよう。一体、日本人は固有の「心の在りよう」、あるいは「日本精神」なるものを受け継いでいるのか。人心は世の移ろい、つまり人々がおかれた環境、政治・経済事情とともに変わりゆくものであり、万古不易の「日本の心」は何かと問われても答えは難しい。日本人は列島民族であり土着人とさまざまのルートを経て列島にやってきた人種との混血(mixed)である。古代の統治勢力に関わった人たちのルーツは半島民族、加那系であったとの説(金 容雲:2011)に従えば、多くの日本人DNAは百済民族のそれを受け継いでいることになろう。最近、放映される扶余、高句麗、百済の王族物語に登場する人たちの心理はいかにも日本人と共通するところがある。しかし、なんといっても”日本の現代は明治に根ざす”(渡辺昇一の日本史:2003WAC)のである。そして、その明治の[心]は、昔の武士階級に浸透した儒学的倫理の世俗的産物といえるかもしれない。明治年初に生きた人たちの「こころ」を知るには中 勘助の「銀の匙」や渡辺京二の「逝きし世の面影」、あるいは中村健之助編訳「ニコライの日記」を読むにしくはない。一読、明治人がいかに素朴で貧に耐え、つつましく、かつ勤勉に生きたかを窺うことができる。ところがかって培われてきた「Mottainaiのこころ」は日本で軽んじられ、皮肉にもケニアのProf. Wangari Maathaiのお陰でむしろ海外で知られるようになった。いまの日本人は衣食に驕り贅に走ること、とどまるところを知らない。肥満予防を叫びながらTVでは「食べること」の番組で人を惑わせ、What to eat nowがTime誌上を賑わせている。わたしたちは清廉な明治の心を見直す必要がある。「ローマはなぜ滅んだか」(弓削 達、1989)の轍を踏まないためにも。

「物」、サイエンスについてはどうか。日本は技術立国といわれ、しばしばサイエンティック・テクノロジーの分野では世界的に最上位にある。とはいえ日本に限らず医学、新たなバイオテクノロジー分野において将来問題となるのは、着床前診断・スクリーニングをはじめ、性のみならず知能や容貌:身長・肥(adipocytes)、髪・目・肌など、さらには遺伝的に支配できる形質の選択や知能をたかめる向精神薬の開発など、正常以上の脳機能を目指す強化、向上治療法(Enhancement therapy)、疾病と健康の境界、正常と見なされる状態のグレードアップをはかるテラピー、および幹細胞応用に関する倫理問題であろう。憂いははてない。