私の好きな詩                        吉岡 礼子

いたみ

部屋に暖かいストーヴ
ストーヴの側で 電柱ばかり見ている

吹雪くと山は見えなくなり
林も薄い影だけになる

窓の外の一本の電柱
北側は白い世界に消えている
吹雪くときは いつも同じ半分が消える

消えて見えない半分が
本当の電柱だと思ってみている
消えて見えない半分が
本当に立っているのだと思ってみている

部屋に暖かいストーヴ
ストーヴの側で
消えた半分を見ている


こともなく

ぼたん咲き誇る
狩りに行くのか 足長蜂
キャベツ畑は真昼の静もり
青虫は ほじほじキャベツを食べていよう



夜の沼

母の胎内で通った記憶か
沼に沿うた薄明の道
牛蛙の声が 沼にわずかさざなみを立て
遠く青鳩が鳴いている
水草のかげに潜んで
暁の脱皮にそなえる やご が
じっと見つめていたとしても
この寂しさに変わりはない
ふと振り返る
赤い灯をともして誰かが来る
−おつれがあるならご一緒に−
わたしはたちどまる
あんなところに道があったか
赤い灯をともした人は
ゆっくり沼のまん中を横切って行ったのだ
−そうでしたか−

夜の沼はときどき人が通るのだろう


久延比古

海に海彦
野に野彦
山に山彦
田にくえびこ
くえびこや
今日で十日濡れそぼち
音もあげず
目尻吊りあげて

白露の寒い月明かりに
霜夜の冷たい星明りに
たちつづけていたくえびこや
音もあげず
目尻吊りあげて


仁王天

竹藪の中に雪が残り、雉が走っている。
走って行く雉の羽毛を、木漏れ日がちらちら
びろうどの色に見せる。
独りの足音は、寂しさを超えて虚無に近く、
長い石段を昇りつめれば、
千年、静まりがたき二天王の怒り。
満身の怒りをこめて、踏みにじろうとなさるものは何か。
この山門をくぐる前に、
あなたの足下に投げ出さねばならぬものは何か。
  わたしはいま 不遜にして
  襤褸をかざして通りたい
雪水は本堂の高い屋根から虹になって落ち、
きさらぎの日は、杉の梢にとまり、
三重の塔の右肩から降りそそぐ。
塔は扉を閉めてひそまり返る。
み堂の屋根は弧を描いて空を切り、限りないものに応えている。
愛敬やまぬ仁王天。
今日は山門をくぐるまい。


おきぬおばさん

おきぬおばさん、
ひとりねのふとん、
もう何十年 そればかり、
洗って継いで、糊つけて、
今ではゴブラン織のよう、
寒さも淋しさも通さない、
それは豪華な美しいふとん、

おきぬおばさん、
風に散りそうな、
軽い柔かいふとんが嫌い、
黙って継ぎを当てつづけ、
今では芸術のような継ぎをする。
破れ傷、刺され傷、
ていねいにつくろい、
糊をきかせた二つとないふとん。

おきぬおばさん、
それを着て、
深く、ふかあく眠り、

おきぬおばさん、
それを着て、
ばりっと死ぬつもり。




詩集『くえびこ』よりご紹介させて頂きました。
作者谷川文子は1920年滋賀県愛知郡に生まれ、
2013年在住した犬上郡多賀町で没す。
県立愛知高女卒 結婚 連れ合いと渡った満州から引き揚げ後、
厳しい開墾農業・編み物の傍ら詩を書き始める。詩集に『決意』
『くえびこ』 近江詩人会に所属した。 県民文学祭詩部門選考委
員 彦根市民文学祭選考委員など歴任。
筆記者吉岡礼子の父の妹。